自己紹介 ~小田 義洋のストーリー~

「オレ(父)のために生きろ」と強制された幼少期

私は、幼少の頃からサバイバルな環境で生きてきました。

父が厳しく、父の意向に沿わなければ叩かれていました。

叩かれるのと、家の外へ放り出されるのがワンセットでした。

毎晩、泣いていました。

 

「宿題やったか!?」「明日の学校の用意は!?」

「部屋が汚い!なんべん言うたらわかるんや!!」

「○○せぇよ!ええか?!わかったな!? 返事は!!」

 

こんなことが毎晩行われていて、

父が会社から帰ってくる時に、家のドアノブを回す音がしたら「ドキッ」としていました。

夜になると、ビクビクしていました。

「躾」と言いながら、自分の思い通りになる駒に仕立て上げられていました。

「オレのために生きろ」という暗黙のメッセージを強制的に受け取らされていました。

 

父の言うことに異を唱えると、叩かれることで皮膚感覚の痛みを覚えた私は、自分の意見や思っていることを言うのが恐くなりました。

そんな父を止めようとすると、母にも被害が及ぶので、母もだんだん無関心を装うようになりました。

「誰も助けてくれない」「みんな僕のこと嫌いなんだ」

と思うこともしばしばでした。

外部的な要因を分析する力など幼少の頃には備わっていませんから、

私が関わるなかで起こる悪い出来事は、全て自分が原因であるかのように考えたり、

たった数人が思っているだけのことを「みんなが思っている」と思って自分を責めたりするのは、子供特有の「万能感」が悪い方向に作用した結果だ、ということは後から知ったことです。

 

まだ落ちる

そんなことを幼少の頃に知るはずもなく、その悪い方向でどんどん成長してしまっていました。

例えば、

自分の心のバランスを保つために安心しようとした結果、お菓子を食べまくりました。

また、外で友達と遊ぶたびにケンカになるのが嫌だったのでテレビゲームする時間が多くなりました。お菓子とテレビゲームのせいで、ぶくぶくと太りました。太り過ぎで病院にも行かされたほどです。小学5年の時に体重53キロ、体脂肪率が35%を超えていたのです。

 

また、むりやり習わされた空手では、攻撃的な人が多く関わるのが恐い人達ばかりでした。

太って運動が苦手な私は、空手の練習も嫌々行っていました。

「黒帯をとったらやめてもよし」

父のその言葉だけが希望であり、

「ワシの言うこと聞かんかったら放り出すぞ!」

という言葉が恐怖でした。

空手を辞めれる日を待ちわび、放り出されないことを祈りながら、父の「二つの言葉」の間を行ったり来たりしながら殴られる辛い練習を耐えました。

 

しかしこの頃から本格的に、

「自分の本心を言ったら恐い目に遭う」、

「失敗してはいけない」

「良いところを見せなきゃ受け入れてもらえない」と思って行動することが無意識に繰り返され、習慣になってしまっていたのです。

 

絶対的な支配から逃れることができる瞬間

この環境で生き抜くことを支えたのが「勉強」でした。

勉強は私の居場所であり、私が唯一、正気を保てる場でした。

また、自分らしくも居れました。

 

勉強では、本もノートも私を怒らない。

書き間違って消しゴムで消しても、ノートは怒鳴らない。

何回でも繰り返し繰り返し、「正解」がもらえるまで、自分が納得するまで本を読んでいいし、問題をやり直していい。

そして何より、テストの点数が良かったら両親がほめてくれたのです。

家では怒鳴り声が毎晩のように響く家庭でも、

私がテストで良い点をとって家に帰ると、頭をなでてくれた。

笑ってくれた。

「良いニュースを届ければ、家が明るくなるんだ」と思いました。

やっと何か、突破口のような、明るい未来への希望を見つけた感じでした。

それが嬉しくて、勉強を頑張りました。

勉強することが習慣になりました。

 

これでもかというぐらい、落ちる

居場所を見つけたのも束の間・・・

中学でいじめを受けました。

集団で無視されたのです。

首謀者が3人いました。その3人からの脅しと嫌がらせに屈し、仕切られることになりました。

「こいつとしゃべった奴も無視するからな。覚えとけよ!」。

この言葉にビビッたみんなは、私と話してくれなかった。

授業中は平気だった。黒板を見ていたら、やることが出てくる。そう、板書です。

板書していくうちに時間が過ぎていきます。特段、誰かと話す必要もない。むしろ黙ってノートをとって、授業を聞いている生徒の方が優秀だとみなしてくれるのだから、無視されてる私からしたら好都合でした。

辛いのは、休憩時間。

話す相手がいない、というわけではない。話したい相手はいる。

でも、私に話しかけられた子は後で首謀者に酷い目に遭う。これが可哀想だから話しかけなかった。

あと、昼食の時も辛かった。

昨日まで一緒に食べていた子が、今日は席を離してくる。お互いに目を見るだけで、理由は理解できる。相手は何も言わないし、私も聞かない。

誰とも席をくっつけず、独りで食べた昼食は、味をよく覚えていない。

 

勉強の成績は、親の代理戦争であることに気付いてしまう。

ある日、いつものように高得点のテスト結果を両親に見せた。

「よーし!よくやった!!」

「うわー凄いやん!おめでとう!」

よくある光景だ。

でも今日は、少しだけ、いつもの光景プラス1コマだけ、会話が多かった。

「ざまぁ見ろや。やっぱりワシの育て方は間違ってなかったんや。

それにひきかえアニキんとこの息子なんか見てみぃ。お前みたいに出来てないらしいぞ。昔はワシの事ほったらかしでアニキばっかり可愛がりやがったオヤジとオカンがなんぼのもんじゃ。おい、ようやった。」

この1コマが、余計だった。

この後も同じことを何回も言うで、よほど根に持っているらしい。

どうやら話を聞いていると、私の父は次男なのだが、昔、ことあるごとに父の兄と比較されて育ったらしい。その比較ジャンルにはもちろん「勉強」もあって。

で、その勉強を私の父は出来なかったらしいのです。

一方、父の兄は優秀だったようで、大学まで行かせてくれた反面、私の父は大学に行かせてもらえなかったようです。

内容だけ聞くとこれだけだが、あのこだわりよう、根に持ちようから察するに、何か父の感情に根深く刺さるような言い方をされたのだろうか。出来事があったのでしょうか。

「ざまぁ見ろ。やり返したったぞ」

という気持ちがありありと出ていて、憎しみを抱いている様子すらあった。

この父を見て私は、「あぁ、ボクのことなんて何とも思ってないんだな」と子どもながらに思った。「この人はただ、自分が昔に出来なかったことをボクが出来るようになることで、自分が出来たと思おうとしているんだ」と。

両親がどんな性格であれ、子どもは両親から愛情を獲得したい一心で動きます。

その親の気持ちと子どもの気持ちにギャップがあると、その喪失感たるや想像に難くありません。

 

この環境で生き抜くことを支えてくれたのが、好きな人でした。

「勉強と運動で、彼女にアピールしよう。それに人生を賭けよう」と決めた中学生活でした。「どんな結果になっても良いから、彼女に告白してOKをもらえることを目指そう」と決めました。

 

高校でも全く同じスローガンのもと、学校生活のほぼ全ての時間を、好きな人へのアピールに使いました。

「オレが好成績をとれば、彼女も注目してくれるかも。もし彼女がオレの頑張りを直接知らなくても、彼女の友達がオレのクラスにいるから、その子伝えにオレのことが伝わってくれれば」と思った。

だから、彼女が直接オレを見てても見てなくても、モチベーションは下がらなかった。もう付き合いたい一心だった。

 

でも結局、恋は実らなかった。

あれは「学校」という守られた環境の中で繰り広げられたドラマだから「一途なんだね」と言ってくれる人もいましたけど、大人になって、一般社会の中でもう少し表現方法を間違えていたら、ストーカー寸前でした。あれは。

結局、1年に1回、中学から高校までで合計6回告白したけど、ダメでした。

「またダメな歴史が増えた」。そんなことを思った出来事でした。

 

這い上がれる時期がこない

独りでなんとかしなきゃいけない環境に放り出される

大学受験に失敗しました。

好きな人とも会えなくなりました。あいつが何をしているのか、どこにいるのかもわからなくなりました。

 

「これからは何を目標に頑張ったらいいんだ・・・」。

 

知ってる人は誰も居ない。みんな別々の道を歩き始めている。

ほんの2週間ほど前、卒業式の日までは「学校」という共通の場所で会えてた人と、急に会うことがなくなった。

そう、もう世間は4月になっているのだ。

なんか、胸にぽっかり穴が空いた感じになった。

 

「とりあえず浪人から脱しよう。そしたらまた何か、イイことあるだろう」。

この言葉が私の支えでした。

 

そして無事、大学合格。

 

と喜んだのも束の間・・・思ってるのと違った。

挨拶フレンドばかりで、本当の友達が見つからない。

それもそのはず、大学の学費を払うためにアルバイトに明け暮れ、大学で知り合った友人と酒を飲みながら語り明かす・・・なんて経験、1度もしてこなかったのですから。

大学に入って良かったと思ったのは、

4回生になって初めて、別の女性を好きになり、付き合えたことです。

「うぉー!これは奇跡だ!!今まで頑張ってきて良かった!!」

告白してOKをもらって彼女を家まで送った帰り道、一人でそうつぶやいていました。

しかしこの時、一抹の不安がありました。

それは、就職でした。彼女も私も内定はもらっていましたが、就職先は別の会社。そしてあと2か月で大学卒業という時期だったのです。

私は総合職でしたから、全国の各支店が異動先の候補であるという前提条件で内定。一方、彼女は専門職といって、配属先の勤務地だけで働くという条件。

当然、遠距離恋愛になる可能性が高かったのです。

そしてその不安は的中することになります・・・。

 

人生、もうあきらめようか・・・(転職に次ぐ転職)

 

やっとの思いで、中学高校の6年間、浪人の1年間、大学の3年以上もの期間。合計10年以上も待ち焦がれた「彼女」という存在。付き合うということに飢えに飢えた状態で叶った念願にもかかわらず、就職を機に勤務地が理由で恋愛を阻まれ、彼女と別れることになりました。

「こんなにあっさり!?え!?これは現実!?本当にオレのこと!?」

運命に翻弄される時というのは、これほどまでに簡単に、あっさりと終わります。

もちろんお互いは泣いて泣いて、別れるのは嫌だと思いましたが、勝てなかったのです。独りになる寂しさに。社会人という、これから迎える自分たちの厳しいであろう状況に対する恐さに。

自分たちに最適な判断は出来ていなかったと思います。

 

この頃はもう・・・ふてくされていました。私は。

私の就職先は製造業で、その工場が地方に所在することもあって、配属先が地方となりました。

実家を離れて寮住まいになった私は、毎朝起きるたびに「あぁ、何でオレたちは別れることになったんだ。オレのどこがいけなかったんだ・・・」という言葉を呪文のように心の中で唱えながら共同の洗面所に行き、歯ブラシを口に入れるたびにえづいていました。

 

ただでさえ社会人1年目。右も左もわからず、やることなすこと注意され、怒られる。しかも勤務時間が長い。工場の人事部に配属されたために、「人事は他の部署の見本であらねばならない」という考え方のもと、オモテ向きは8時30分始業といいながら、毎朝7時20分には出社し、工場周辺の掃除から始め、部内のミーティング、課内のミーティングをしなければなりません。それらを8時20分までに終わらせてから本業。その本業が8時30分からだ、というルールなのでした。

夜は夜で、ほぼ毎日、仕事が終わって帰れるのが夜中1時頃でした。

遅い時には2時に「お疲れ様です」と言ったことも、月に1度や2度じゃありません。

22時に帰ろうとすると、

上司:「おっ、今日は早いじゃないか。○○の仕事は終わったんか?」

私:「いえ、まだです・・・」

上司:「なにー!?じゃあ帰るなよ。やって帰れよ」

私:「はい、すみません・・・」

というやりとりもありました。

 

その仕事中も、別れた彼女のことを考えることが度々あり、ツラい仕事との両面からエネルギーを消耗する結果となり、ストレスから病気になってしまいました。

入社時からずっと、お腹も痛かったし、歯ブラシを口に入れると「えづく」し、慢性的に頭がフラフラしていました。

それらはストレスからくる症状だったのですが、そのストレスが蓄積されて蓄積されて、最後にボンっ!と表に出て、心身に不調を引き起こしたとのことでした。

「あぁ、もうダメだな・・・辞めよう」

大学まで行かせてもらった両親への罪悪感から、ツラくてもつっぱって平気なフリをしていましたが、そのツラさが罪悪感を上回り、会社を辞めました。

 

2社目は飲食業界でした

店舗業務となり、勤務地は繁華街のバーです。

色んな人との出会いがあり、私の知らない世界を教えてくれるので楽しかったのですが、

「ほらせてくれたら、あなたが店を持ちたくなった時、力になってあげるわよ・・・」。

ある日に受けたこの提案が、今まで「知らないことを知れて楽しい」から「知りたくないことを知らされそうで、恐い」に変わってしまいました。

(これを知ってしまうと、オレ、男として終わってしまうよな・・・)

そう思った私は、2社目の会社を辞めることになりました。

 

3社目は人材派遣業界でした。

ここには私の常識など通用しない、ちょっと考えられない行動をする人が人達がいました。

ちょっと仕事の注意を受けただけで、次の日から送迎バスの待ち合わせ場所に来ない人がいる。それが1人や2人じゃないのですが、そんなのはよくあることで、私が特に驚いたエピソードとしては、こんなことがありました。

 

働く人達は寮に住んでいたため、そこから工場に向かうために送迎バスを朝と夜に運転しています。そして今朝も毎日のように寮から工場まで送迎バスで行く予定だったのですが、出発時間の3分前になっても、ある人が集合場所にやって来ません。

電話してもつながらない。寮の部屋のドアをノックしても返事無しです。

 

この時、私は同じ会社の証人立ち会いのもと、安否確認の意味で、合鍵でその人の部屋に入ることになりました。

入ってみると、部屋はしーんと静まりかえって、物音ひとつしません。

和室のふすまのレール沿いには、おびただしい数のビールの空き缶が、ぴしーっと規則的に並べられていました。それに、流し台の排水溝からは、吐きそうなほど臭い匂いがしていました。こんな光景は初めて見ました。

驚愕と言うべきなのか、私の常識とあまりにかけ離れた行動をするこの人に、正直ビビリました。しかし今回、部屋に入った目的を何とか思い出しながら、トイレ、風呂場を探していきましたがいっこうに見つかりません。

こうなると、残るはあそこだけという状況になりました。

「まさかなぁ・・・そんなことする人、ホントにいるかぁ?」と思いながらも、その可能性は捨てきれず、思い切って押入れのふすまを引くとそこには・・・!

 

三角座りをして私たちが立ち去るのを待っていた、「たずね人」がそこに居ました。

事情を聞くと、やはりこの人も前日、仕事上のことで工場の人から注意を受けていたようなのです。そのことで今日、仕事に行くのが嫌になっていたのでした。

仕事が嫌なのは多かれ少なかれ、誰でもそうです。

仕事でミスをして注意されたら、その時は勢いでガマンすることもできますが、しんどいのはその後、特に「次の日」です。だから、この人の言うことはわからなくもないのです。

でも、その表現方法が突拍子もない。

相手の迷惑とか、そんなことをしたら周囲にどう思われるかとか、そんなことした次の日から、社会人としてちゃんとやっていけると思っているのかとか、そういうのを私は「常識」と呼んでいるのですが、そういうのとは違うことを、この人は「常識」にしているのでした。

 

今回のことは効きました。私には付いていけない。相手の常識に私の考え方・行動を合わせていくのか。それとも、私の常識に、相手の常識を合わさせるのか。いずれにしても、相手と人生を共にしなければ到底できそうもない難題で、私には出来ない。というか、出来なくてもいい。そう思いました。

その1ヶ月後、生涯で3回目の辞表を出しました。

 

4社目はまた人事の仕事です。

人事というと、1社目の会社に勤めた思い出が蘇ってきて、お腹が痛くなりました。

そして行ってみると、これまた適当なというか、いい加減なルールが横行している会社で、「この場合はこうですよ」という明確なルールがほとんど無い会社。

今までどうしてたんですか?と聞いても、煮え切らない返事が返ってくる。

それでも不明な点を聞いていると、しまいに相手がキレだす。

どうも、その場その場を場当たり的に切り抜けてきたようで、社歴が長い人でも、全てのことを知っている人なんて皆無でした。「その時は○○さんがこうしたから・・・」「あの時は△△さんがそう言ったから・・・」

こんなことばっかりでした。物事を決める時のルールや基準なんてほとんどなく、「基本的には、基本的には・・・」ばっかりで、実際にはどうかというと、基本から外れた例外、しかも感覚的に決定した、理由のはっきりしない例外の繰り返しが累積されただけの会社でした。

人事評価も「えんぴつ舐め舐め」の世界でした。

それを偉そうに「過去の事例を見てみろ」なんて言ってるからもうお手上げです。

 

そんな「何が正解かわからない」毎日のなかで仕事をしているものだから、確かなものが欲しいと思って調べたり、結論を急ぐことは避けようと思って仕事を保留すると、どうしても仕事の進捗が遅くなるわけで、そうなると上司からは「臨機応変に出来ていない」と言って怒られ、

杓子定規な対応しかできずに相手を怒らせたり、不快な思いにさせたと言って怒られ、

要領の悪い仕事の進め方をしていることを上司から怒られている私の姿を見られてはみんなから笑われ、

新しいルールやアイデアを、不完全ながらもアウトプットしていくそのプロセスを上司に報告するたびに「考え方がおかしい」と言ってみんなの前で吊るしあげられ、非難され、恥ずかしい思いをさせられ・・・。

 

おまけに

「お前はイジられやすいキャラやからな」

「優しいから何でも言いやすいんじゃない?」

 

・・・

 

「はぁ!?

「キャラ」って何やねん・・・!そんないい加減なことで納得できるか!!

言われてるオレの身にもなってみろ!!」

 

とは言えず、ひたすらガマンの毎日が続きました。

 

またサラリーマンになりたての頃にあった、毎朝お腹が痛い歯ブラシを口に入れると「えづく」、慢性的に頭がフラフラする、という症状が再発してきました。

 

ネットビジネスと出会う

とにかく怒られ、笑われ、非難されました。

「こういうのは、私がヘンだから。私が良ければ、そんなことにはならないはずなんだ」。

答えを見つけるために検索、実践、反省、また検索、実践・・・という日々がもう、10年以上も続いています。

「正解すること。正しい選択をすること。良い結果を残すこと。他人と仲良くすること」においては、物心が3歳についたと仮定した場合でも、そこから34年間ずっと悩んできました。

 

でも感情の問題って、相手がいることですし、その「相手」が精神的に未成熟だと、いくら私が勉強しても役職が上がらない限り、勉強の成果が表れにくい、そもそも成果を出しにくいのがサラリーマンの世界です。

「何をしたか・言ったか」ではなく、

「誰がしたか・言ったか」に重点が置かれるからです。

 

でももう、こんな人生は嫌なんです。

正直、ガマンの限界なんです。

 

「そういうのは、私がヘンだから。私が良ければ、そんなことにはならないはずなんだ」がきっかけで始まった自己啓発のプロセスで私は、ネットビジネスというものに出会います。

今までに混乱と困惑と辛酸、理不尽、孤独、自責、自分への疑いを体験した期間と、そこからの学びがあるので、あなたの力になれます。

また、私は今の人生から脱出するべく、「稼ぐ」ということを実践しているのですが、

この「稼ぐ」ということにおいても、私はあなたの力になれます。

 

その中で、

何をもって成功と言うのか。自由になるとはどういうことか。何が本当の失敗なのか。正しいやり方とは何か・・・。

これら、脱出の過程をあなたにお届けします。

 

今までの辛い経験、理不尽な経験、悔しい経験、怒りの経験は、あなたと共有し、役立ててもらうためにあったのだと確信しています。

なぜなら、それが私の試練だと理解したからです。

 

今までの辛い経験、理不尽な経験、悔しい経験、怒りの経験を乗り越えようとするためには常に「他者に与える」という要素が隠されていました。そしてそれが実践できた時には、良い結果が生まれています。

反対に、独りよがりになって与えることを忘れた時、後悔する結果に終わっています。

 

この法則で私が「今」を生きると、試練を乗り越えようと行動することがそのまま、あなたを助けることに直結するという循環のサイクルが生まれます。この循環の中に身を置くことであなたは今より幸せになり、私も試練を乗り越えることができて幸せになる、というwin-winの関係になれるのです。

それを私に学ばせるための「今までの経験」だったのです。

 

私があなたの代わりに失敗します。あなたは私の失敗を参考にして下さい。

あなたが失敗を減らすということは、それだけあなたの時間は短縮できます。

時間は、人生の構成要素です。

その時間が短縮するということは、あなたの人生が長くなることを意味します。

あなたの人生が長くなれば、それだけあなたが成功するチャンスが増えます。

あなたの成功とは、

お金が稼げるようになることかも知れません。

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それら全ての始まりとして、まずは私があなたに紹介している失敗事例、カッコ悪い出来事を見て下さい。そして私のどこがダメなのか、その答えを一緒に共有しましょう。

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