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小田 義洋です。
こんな人、いませんか?
「キミ、そう言うけどさぁ。○○した場合はそれ、どうなるの?」
人はみんな、意見を持っています。
だからこそ、人との「違い」が出てきます。
人間関係はこの「違い」のせいでややこしくなっていると、
勘違いしている人もいるくらい、人は千差万別です。
でも実際のところ、
本当にややこしいのは「違い」ではありません。
10か0か。
どちらかの意見100%になって、
もう片一方の意見は切り捨てられる。
切り捨てられる方は傷つくのを恐れて、
なかなか自分の意見が言い出せません。
しかも悪いことに、
意見が切り捨てられる人というは、
どこの輪の中に入っても、切り捨てられやすいです。
「負け癖」がつくようなものです。
そうするとその人は、
「次から意見を言うの、やめておこうかな」
となります。
そこで本人の気持ちが軽くなればいいのですが、
そうはならない。
「くそ・・オレもあれぐらい言えたのに」
「なんでアイツばっかり賛成されるんだ。
オレだってさっきからそれを言ってたじゃないか」
そうやって、恨みが溜まります。
でもガマンした恨みは自分の中で消化できず、
やがて、ストレスになる。
相手と対立してでも意見を言って、
次の瞬間からお互いに気まずくなるか。
自分を抑えて調和を保つか。
あなたが人間関係の輪の中に居る時、
対立か調和か。
この「感情の揺れ動き」を絶えず感じています。
これが、人間関係のややこしさを生みだすのです。
意見が違っていても、
それをオープンに話し合えて、
「あぁ、そうだったんだね。わかったよ、ありがとう」
「なるほど、ここが君と私とで違ってたんだね」
と、お互いの意見を照らし合わせて
建設的にイイトコ取りするスタンスで話ができれば、
「違い」なんて大した問題ではありません。
ところが先に書いた
「キミ、そう言うけどさぁ。○○した場合はそれ、どうなるの?」
と言う人は、自分の意見を通したがっています。
自分の意見しか認めていません。
相手の意見になんて、興味が無いのです。
それならそれで、
「○○でいこう」って言えばいいのに、
「こうなった場合は?」
「あぁなった場合は?」
と、こちらの意見を潰すようなことばかり言ってきます。
そして、
それが会社の上司ならなお厄介。
上司の意見に沿おうとして
自分の意見を引っ込めて話を聞いていると、
「なんだ、キミの意見は無いのか。
さっきから『そうですね』ばっかりじゃないか」
一見、こちらの意見に興味があるように見えますが、
そうではありません。
こちらの意見を否定したいのです。
否定した後、
自分の意見の正しさをこちらに認めさせて、
自分の意見を通したいのです。
「だったら最初から自分の意見を言えよ」
そう思います。
最初からこちらの話を聞く気なんてないのに、
何か問題があるかのようにこちらを心配させたり、考え込ませたり、
ストレスを与えてこられては、迷惑です。
こちらの時間とエネルギーを何だと思っているのでしょう。
追伸:
相手を試すような会話をしてきた人が尊敬されることは、まずありません。
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