読んで下さった後にクリックして頂けると嬉しいです^^
↓ ↓ ↓
うっさいわ!
言いやすい奴やからって偉そうに言うな!
しかもこれ、ほんまはお前がやる事やろ!?
例えば、
嫌なAさん:
印鑑証明書を金庫から出して。
○○重要書類が要るからちょっと取ってくれ。
私:
(お前の後ろの棚にあるんやから、お前が動けや!)
A:
あの数字が要る、あの書類どこだったっけ?
私:
(「あの数字」って何やねん!それがわからな「あの書類」がわからへんわ!
お前が思ってることを、同時にみんながわかってると思うなよ!)
A:
おい、この「○○はアクセスできません」っていうのは、どうしたらええの?
私:
(何を見てそれが出てきてるねん!何をやっててそうなってん!
説明が全く無い!
どうせパソコンのエラーか何かなんやろうけど、
こっちに「あぁ、パソコンのことなんだろうな。はいはい。
あなたのモニターの前に来て欲しいんですよね?」って、穴埋めの解釈をさせるなよ!お前がちゃんと言え!)
A:
お前、ここの数字、間違ってるぞ。
私:
(それ、誰に言うてるねん!部署に「お前」はいっぱいおるわ!名前で言え!
「オレ・私、何か間違ったかな・・・」って、みんなを心配させるな!)
小田義洋です。
今日も自由へのパスポートを手に入れる方法について書いていきます。
今回のテーマは「あなたの欲求」です。
『自分の本当の欲求に気付くこと』で、
どれだけ人生が変わるかを考えてみて下さい。
普段の何気ない行動のなかにも、欲求は隠されています。
その欲求が何であるかを知って動くのと、知らずに動くのとでは、
後々の結果に雲泥の差ができます。
ヘタをすると、人生を棒に振ることもあります。
これは、自分の『欲求』を自覚していないからです。
無目的に行動するから『その場しのぎ』の連続で、
後から人生を振り返った時に何も残っていないのです。
お金も、お酒とタバコや女遊びに消えて終わるのです。
そして言うのです。
『あぁ、今、あの頃のお金があったらなぁ・・・』。
欲求があるのに、それと不一致の行動・生活をすることは
それだけでストレスとなり、ストレスはあなたのエネルギー低下を招き、
成功に必要な行動を鈍らせます。
ですからあなたも自分の欲求を知ることに注意をはらって下さい。
では、いきます。
文句を言われたら、ビクビクします。
でもそれに惑わされたくない!
自分がちょっとお尻を動かして取ったらいい書類でも、
いちいち私に言って、持って来させようとする。
私を動かす。
「あの書類」とか、「あれ」という言い方で、
自分のやって欲しいことをわからせようとする。
自分がアタマの中で思ってることは、相手も同じように思ってる、と思ってる。
自分が当たり前と思ってる『前提』を、相手も持っていると。
これってすごい身勝手で、わがままです。
私:
すみませんが、証明書を取りに行って下さいますか?
A:
ほんなら申請用紙、書いてくれや。
私:
(はぁ?毎回、さんざん書き方を教えてるやろ!?
やり方を知ってて、わざとオレに書かせるんかい!
「取りに行く」言うことは、その用紙に書くとこからお前がやるんやんけ!
それをオレがやるんやったら、なんにも(仕事の)同時進行にならへんわ!
お前ほんまに「行く」だけかい!?)
証明書を取りに行ったら行ったで、会社に帰ってきてから、
「小田さん、○○が抜けていましたよ」
と嫌みったらしく言う。
しかもめっちゃ細かいコト。
反対に、私が用事を頼まれて官公庁等に手続きに行くこともあります。
その時に官公庁の受付カウンターで、
書類に不備があるために色々聞かれて、何とか知ってる範囲で対応する。
会社に帰ってから不備内容を報告し、「今回は無事にできました。ですが次からはここの書き方を・・・」と言うと、
「そんなん、ちょっと気ぃ利かしたらわかるやろ。いちいち言うてくるなよ」という反応になる。
私:
(はぁ!? どっちが『いちいち』やねん!
こっちは内容に重大な誤差があったから「気をつけて下さいね」という意味で言ってるんだ。
お前が嫌みで言ってくるのは、見たらわかるようなレベルの『アラ探し』やろうが。
人にはエラそうに言うくせに、自分が言われたらそんな対応かい!?)
それに、
証明書を取りに行って会社に帰ってきたら、
明らかにゴミとわかる空の封筒も「はい。返しとくわ」と言ってオレに渡してくる。
私:
(はぁ!?
それ、証明書の発行手数料として、お前に渡すお金を入れるために用意した封筒やろ!?
ちょうどの金額を入れて渡してるんやから、そら申請でお金を払ったら、封筒の中はカラッポになるよ!?
それって、ゴミでしょ!?
なんで「返しとくわ」になるの!?
返されたオレは、その封筒をどうすると思ってるの!?
そんなんお前が捨ててくれや!)
で、そんな『嫌なこと』をしょっちゅうするAさんが、
証明書を取りに行く仕事を私より上の役職者から頼まれたら、申請用紙を自分で書いてる。
『ほんなら書いてくれ』とは言わない。
初めから同意しているかのように自分からすすんで、おもむろに準備し始める。
私:
(おかしい・・・!!)
またある時は、
私より上の者が5分遅刻してきても、それは何も言わないのに、
私が始業3分前、ギリギリに事務所に入ったら
「もっと余裕持って来い!」とエラそうに言う。
こういうのって、
相手が年齢的に目上の人や、役職が上の人から言われると、
「そんな言われ方をする私が悪いのかな・・・」とよく思ったものです。
なんか、すごい罪悪感が出てくるのです。
「しまった!怒らせた!」とか、「自分がやる前に先に言われた!」とかですね。
何があっても一貫して「私が至らなくて申し訳ございません」というスタンスでした。
でもある日から、『ちょっと待てよ?』と思い始めました。
冒頭で紹介したAさんタイプの人って、
こちらがやってもやっても、いっこうに気が収まらないのです。
それどころか、要求がどんどんエスカレートしていったりします。
(これ、オレじゃなくて、相手に『何か』があるんだろうな・・・)
欲求という切り口から、問題を特定する。
こういうことする人って、どんな欲求があるのか考えたことがありますか?
ズバリ同じ事例をあなたが経験したことがなくても、
『押しつける』とか『自分で決めない』人は見たこと、接したことがあるはずです。
そういう人の欲求を考えてみて下さい。
なぜなら、そこにも『成功の秘訣』が隠されているからです。
今回のように『押しつける』とか『自分で決めない』人というのは、何かその日に特別な用事があって、早く帰りたい日なのかな?と考えることはできます。
でも私が経験したAさんは普段からこんな態度ですので、特別な用事ということではなさそうです。
じゃあ他の可能性。
外部環境ではなく、本人の内部環境、特に心理。
欲求という切り口から問題を考えると、何が浮かび上がってくるでしょうか。
会社の売上を伸ばすため、ではなさそうですね。
まさか仕事の効率化を図るために、自分がやらなくてもいい仕事は他人にドンドン任せる、というのを実践した結果、封筒などの『そんなこと』までするの?
それは効率化とは違いますよね?部内、ギスギスしますから。
(Aさんは)会社を辞めて独立したい?
そう思ったとたん、会社の仕事が急に嫌になって、簡単な事を『くだらない仕事』と決めつけて、私にさせようとしてる?
Aさんは普段から『そんな態度』です。
もし会社を辞めたくてしてるとしたら、辞める決断が『出来なさすぎ』ですね(笑)。
「もう10年以上悩んでるぞ」って話になりますから。
ですからこれも違ってそうです。
(Aさんは)愛されたい?
これ、どうですか?
凄いと思わせて、接する相手をビビらせたり、緊張させたりして一目置かれようとする人、たまにいますね。
そういう態度で接して、上得意に対する接し方を求めてる?
すごく気にかけて欲しいのか?
気を使わせたい?
可能性としてはありそうですけど、いまいち腑に落ちないですね。
ここまでは『ポジティブ方向への欲求』でした。
次は『○○は避けたい』という『ネガティブ方向への欲求』、
つまり『恐怖』に根ざした欲求の可能性を考えてみます。
(Aさんは)競争に負けたくない?
これ、ありそうですね!
いつもエラそうですから。
声もわざと低くして、ドスのきいた声でしゃべったり。
で、自分が間違えた時には笑ってごまかしたり、凄んでみたり。
とにかく「ごめん」と言わないですから。
では、
競争に負けたら、どうなるのでしょう?
だってAさんは「競争に負けたくない」と思ってるわけですから、
負けたら都合の悪い『何か』があるのです。
その『何か』を避けたいのです。Aさんは。
それは何?
ここから思い当たるのは、
自分だけ不幸になりたくない。
孤独になりたくない。
こういったことが挙げられます。
つまり、自分一人だけはみ出したくないという、恐怖を避けたい欲求です。
負けたらバカにされそう。その『バカにされる』のを恐れるというのも、
仲間はずれ=孤独 を恐れてのことです。
どうやらAさんは、
私がどうのこうのと言うよりは、Aさん自身が傷つかないように、自分の周りに垣根を作っているのでしょう。
感情は抑えず、正しく配置する。
今回はAさんを例にとりましたが、
こういうことは私自身にもあります。
ありますどころか、しょっちゅうです。
あなたが成功したいならば、
「成功には感情、特に怒りのコントロールが必要だ」
という趣旨の言葉を聞いたり、本を読んだりしたことがあるかも知れません。
ここで誤解しやすいのは、
『怒りは自分も他人も傷つける不要なものだから、できるだけ押し殺しなさい』といった誤解です。
感情で、喜びは必要だけど怒りは不要。
なんてことはありません。
要らないものだったら、神様は我々にそれを与えていません。
要るから、あるのです。
使い方を私たちが知らないだけです。
つまり、
怒りが悪いのではなくて、
その根っこにある『本当の欲求』を見つけるまで深く掘らずに
怒りに振り回されて日々を過ごすのがいけない、ということです。
あとはその怒りをぶつける相手を間違えないことです。
怒りは、相手にぶちまけるものではありません。
自分との対話の時に、対話のネタとして、きっかけとして使うものです。
そうすれば、金の鉱脈が見つかります。
怒りは、あなたに本当の欲求を告げるサインなのです。
追伸:
「怒り」君が言っています。
「ボクも仲間に入れてよ」。
読んで下さった後にクリックして頂けると嬉しいです^^
↓ ↓ ↓